3回にわたって書いた精神科病院の閉鎖病棟でのエピソードへの反応があった。
何人かの読者のこころを捉えて、興味を惹き立てたようであった。知らない世界、中々接することが出来ない閉鎖された世界の一端を知らされて、なんらかの満足感のようなものを与えてのかもしれない。
精神科病院そのものが社会から遠く閉ざされて存在している世界。すべての精神科病院(入院可能な病棟を持つところ)について承知しているわけではないが、概して、それは市街地からも遠い場所に立地しているケースが多いのではないか。
中でも閉鎖病棟は、人が住み暮らす世界と隔絶され一切の接触を絶たれている非人間的な空間だと言えば、果たして誰かが否定でもするであろうか。
ぼくは、その病院の閉鎖病棟に5日間いたに過ぎない。また10回と重ねられた入院生活の中で、閉鎖を経験したのはそのときだけで、その全体像や詳細を叙述するのは不可能。
でも、閉鎖病棟という医療空間が果たして必要なのかについて疑問を持たざるを得ない。そういう通常の社会から隔絶した場所、常識的に考えて治療する環境に反するような気になる施設をつくって実行する必然性、またその意味などはぼくの理解の埒外だ。そういう場所に閉じ込められていたら、まさに社会への適応性、人とのコミュニケーション能力を喪失してしまうのではないか。
ぼくの不勉強もあるが、どんな精神医学の本を読んでも、閉鎖病棟での治療効果が上がり、回復の向かったとの臨床例について書かれた本を目にしたことがない。
2002年に厚労省が決めた「社会的入院患者72000人」を10年間かけてすべて退院させるという計画(達成年2012年)は見事に挫折した。
なぜそれは成功しなかったのか、また依然として欧米諸国と比較して日本の場合、入院日数が多いとともに長期入院が多いのかは、科学的な検討を要する問題で、この場において詳論することはやめる。
ただ、地域において「精神障害者」が暮らす環境(住居、勤務する会社、地域医療体制・・・)が貧弱過ぎるとだけは指摘しておきたい。
最近、厚労省は精神科病院で、患者が拘束行為を受けたことがあるという患者が1万人を超えたという話。(確か2013年度統計で)
本人の意思を無視した「強制入院」はすでに障害者権利条約違反と指摘されている。
その拘束―例えば、「反抗行為」に対しての処罰としての保護室行きなども含めて、それは医療の範囲を超えたものではないかとの想いがあるが、果たして法律家はどのように見るのか・・・・・・。
ある日の当事者会での話。二人の女性から、本人たちの意思を無視した拘束を受けた経験があるとの告白を受けたことがある。
一人は別に暴行、悪罵などの暴力をこうじたわけでもなく、ただ「ひとつの治療行為もしくは医療判断」に抗する態度を取ったためでの拘束。
もう一人は「任意入院」で、本人が退院を申し出たら主治医は退院させねばならない・・・自殺企図等の特別な理由がない限り。でも、彼女いわく、それは認められなかったとのことであった。実際、拘束具は使われてはいないが、一定の隔絶された場所での拘束にあたるのではないか・・・。
ある精神科病院関係者にこんなことは実際にあるのかと聞いた。具体的に何件などと数字はあげられないが、ないとは言えないとのことであった。
医療行為にはほど遠い言語道断なことではないかとただ思うし、そういう現実は一日も早くなくなって欲しいと思う。そうでなければ、「精神障害者」は救われないのではないか。
当事者会が行われた別の日のことであった。
ぼくは、精神科病院での「拘束」の是非をめぐって問題提起をした。
単に、厚労省の統計事実だけを示して、「どう思う?」と聞いただけだが。参加していたひとりが「暴れる人がいるからきつい睡眠注射の使用、拘束具の使用は仕方ないと思う・・・」と口火を切った。
他の人は黙して語らず・・・当事者会は答えを求めるためにディベートをする場所ではない。
相手に反論し、論理を累々と展開しながら論駁してしまう場所でもない。当事者会の唯一の目的は、この場に来たら受け入れられる、自分の居場所があり心の一定の安寧が得られること、くつろぎの時間が持てること。
社会や人間関係の中で抑圧されている気分が解放されて、癒されること。なによりも、生きる勇気を取り戻し、状況を受容し淡々と生きていく力を養うところ・・・それらを暗黙の了解事項として運営することに目標はあったと言える。
だから、彼が言った「拘束具はやむを得ない」という意見が追及され非難されることはなかった。もちろん、反対意見を言うのは自由であったが。
インフォームド・コンセントなどという、病気治療行為に関する同意の重視が言われて久しい。
「精神医療」がその埒外であった良いはずがない。
何年かぶりに、友人と飲んだ。彼との付き合いもかれこれ、つかず離れず20年を超えたが、彼も精神障害者。
そのA君が、ぼくに聞きもしないのに語ったことについて一言(京都障害者・児の生活と権利を守る連絡会―京障連の月刊紙『ひゆうまん京都』に既述)。
彼は、精神科病院に入院したときに、保護室に入れられた。そのときに眠れないからと入眠剤を要求したけど拒否されたとのこと。
またそれ以上に、ぼくが唖然としたことは、あまりにも喉が渇くので(普通、保護室には水道はない)、水を頼んだら女性の看護師が「熱湯」を持ってきたとの話を彼から聞いたとき・・・。こういうのを、きっと開いた口がふさがらないというのではないか。
末尾のエピソードとしては面白くもなんともないが記すこととしたい(これも『ひゅうまん京都』に既述したもの)。
閉鎖病棟に入院したときのこと。消灯時間はもう過ぎた頃、10時前ぐらいだったか、若い女性の看護師が用もないのにやって来て、仰向けに寝ていたぼくから布団をはがし、下着をずらしてぼくの性器をもてあそんだ。
ぼくは、屈辱感も恥辱感などはなかった。「アホな、ヤツ」と、苦笑いで彼女を心根から軽蔑した。
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